本州最南端に位置する枕崎市は、年間平均気温が約18度と温暖な気候に恵まれている。この地の特産品は、全国の約半分のシェアを持つ生産量日本一のかつお節だ。しかし、現在、かつお節から出汁を取る家庭が少なくなるなどの状況もあり、かつお節産業は低迷が続いている。この町を活性化するには、代表的な地場産業であるかつお節製造業の復活も不可欠だ。そんな中、枕崎市で生まれ育った一人の男性が立ち上がった。
枕崎市にある中原水産株式会社の代表取締役 中原晋司さんは、地元枕崎市生まれ。実家がかつお節製造業を営んでいたこともあり、家の中は、常にかつお節の香りに包まれていたという。高校までは鹿児島県内で過ごし、東京の大学を卒業した後は、都内の経営コンサルティング会社に就職した。
当時は「Uターンも選択肢の一つである一方、このままずっと東京で仕事をするのかも」と思っていたそうだ。
ただし、「Uターンしたときは、自分の経験や知識は、地元枕崎市や家業に貢献できるのでは、と思っていました」と中原さんは当時を振り返る。
経営コンサルティング時代は、大企業の経営分析や提言を行うなど、経営手腕に磨きをかけた。その後、同じ都内にある新規事業を立ち上げを支援する会社に転職。時代の流れと顧客のニーズを読み、無添加惣菜の開発・宅配事業の育成に携わっていた。
転機が訪れたのは、中原さんが30代になる頃。家業のかつお節製造業は苦戦を強いられていた。家業の将来を考えると「枕崎に戻って家業と地元の活性化に貢献したい、という気持ちが次第に強くなりました」と語る。
故郷枕崎市に戻り、家業の中原水産を引き継いた中原さんは、抜本的な業務改革に挑む。それまでメインだったかつお節製造を廃止し、かつお節を原料とした加工商品の開発とセールスに特化した業態に変革することを決断する。先行きが厳しい事業をやめる一方、出汁の魅力や文化を伝えるための事業などは継続することにした。
国内かつお節製造の約半分を占める枕崎市は、かつお節の一大産地である。さつま鰹節協会によると2017(平成29)年時点のかつお節製造量は、枕崎市が13,695トンと全体の47%を占める。2位の指宿市山川が8,388トン(29%)を合わせると、国内かつお節のほぼ4分の3は鹿児島県で作られているのだ。
ただし、家庭でのかつお節消費量は決して多くない。2018(平成30)年時点、1世帯がどのぐらい調味料に支出しているか見ると、粉末タイプや出汁パックなどの風味調味料は平均2,334円、つゆたれは4,857円であるのに対し、かつお節への年間支出金額は1世帯平均877円に過ぎない。
中原さんは「時代の流れが思った以上に早く、今までやってきた事が通用しない状況でした。そこで、既存の芳しくない事業を整理して、新事業を立ち上げることが求められていたんです」と当時の様子を説明する。
自社やかつお節業界の状況を冷静かつ的確に分析し、新事業を提言するときには、経営コンサルティング会社時代の経験が大変役に立ったそうだ。
次に中原さんが着手したのは、かつお節加工商品の開発だった。このとき、無添加惣菜の開発・宅配事業を立ち上げた経験と実績が功を奏す。手軽に出汁を取れる出汁パック、めんつゆ、鹿児島の特産品である黒酢とかつお出汁を合わせた「だし黒酢ジュレ」など、新しい商品を開発、販売している。
現在、出汁プロジェクトという活動を積極的に行っている中原さんが、出汁の素晴らしさに目覚めたのは「東京での生活がきっかけ」だったと当時を振り返る。
大学を卒業し、都会で多忙な毎日を送っていた中原さんは、仕事の激務や乱れた食生活などの原因が重なり体調を崩してしまう。そこで食生活を見直し、毎日出汁で煮た野菜を食べる中心の生活にした途端、急激に体調が良くなったそうだ。中原さんは、この実体験を通して健康の大切さを痛感するとともに、かつお出汁の素晴らしさに気づいたようである。
「子どもの頃、かつお節はあまりにも身近すぎる存在であるため、かつお出汁の本当の魅力に気づきませんでしたが、都会で再び毎日出汁を取って食する生活を再開し、出汁の魅力を再発見するきっかけになりました。」
かつお節特長は、イノシン酸という旨味成分たっぷりだけではない。多くの栄養素が含まれている健康食材なのだ。かつお節の約7割はタンパク質であり、生命活動に必要な必須アミノ酸がすべて含まれている。また、イノシン酸はアミノ酸と一緒に取ると相乗効果で、さらに旨味がアップする。かつお節は、味を楽しむだけでなく、健康管理にも役立つオールマイティ食材だ。
中原さんが家業を継いだ後、かつお節加工食品販売を始めたことで、地元枕崎にも新たな効果が波及している。枕崎市は2019年5月時点の人口が21,157人という小さな街だが、48のかつお節製造業者がひしめき合うかつお節激戦区だ。中原水産がかつてかつお節製造を行っていた頃、これらは全てライバルであり常に厳しい競争に晒されてきた。
しかし現在は、かつて競合だったかつお節製造業者が仕入れ先となり、大切なビジネスパートナーになっている。中原さんのUターンにより、これまでにかつお節の町に存在しなかった「かつお節のスポークスマン」が現れ、かつお節産業全体の啓蒙活動にも大きく貢献しているのだ。
かつて中原さんは「いつかは地域に貢献する仕事をしたい」と漠然と考えていたが、いつの間にか実現しつつある。経営コンサルティング、無添加惣菜の開発・宅配事業の育成と、一見かつお節とは関係なさそうな職歴を歩んできたが、現在は、それらの経験がすべて糧となっているのだ。
さらに、中原水産では、かつお節の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えようと、枕崎おだし教室を開催している。近年の和食ブームの影響もあり、参加者の半数以上が外国人で占められることもある。
古くからかつお産業で有名な枕崎市は、働きやすさや住みやすさなど生活面から見ても魅力的なところだ。中原さんは、枕崎市が働きやすい理由として「町がコンパクトで通勤時間が短いこと」を掲げる。2013(平成25)年時点、枕崎市に住む人の平均通勤時間は11.9分(総務省統計局)。仕事が終わるとすぐ帰宅できるので、子供と過ごせる時間も長い。また、ランチの時間に一旦自宅に戻って食べる人も多いとか。また、住居費が手頃なのもうれしい。
UターンやIターンを実現するには、近くに地場産業があることも重要となる。枕崎市は、漁業だけでなく農業も盛んだし、かごしま茶の産地としても名を馳せている。焼酎製造も歴史がある。水揚げされたばかりの新鮮な魚や採れたて野菜も、都会では考えられないほど手頃な価格で手に入る。
さらに、枕崎の町中には温泉施設が3つ、車で30分圏内には良質の温泉が十数カ所もある。仕事の後や休日には気軽に温泉、というのも枕崎ではごく当たり前だ。
「人口が多い都会では、高い住居費、待機児童、渋滞などさまざまな問題がありますが、枕崎に戻ってからはそういうストレスを感じませんね」と中原さん。
日本では、ワークライフバランスや働き改革を実現するために早急な労務改革が求められている。枕崎市には、それらを実現するための構造的な環境が存在する。枕崎市は小さな町だが、未来の働き方という観点では最先端を走る町なのだ。
枕崎市では、移住に興味を持っている人を対象に、最長2週間(13泊)まで宿泊できる「お試し住宅」がある。市町地から車で約10分の山間部(木口屋地区)にある古民家は、広々としており、夏でも涼しく過ごしやすいのが特長。改築済なので、風呂にはシャワーも完備されている。
冷蔵庫・ガスコンロ・食器・エアコン・布団などの備品も完備されているので、気軽にプチ移住体験ができるのが魅力。農業体験なども可能なので、興味がある人はぜひ問い合わせて欲しい。