東京で生まれ育った江戸っ子の藤田伊織さんが、新天地として選んだ移住の地は宮崎県。そして、2013年7月、宮崎市の中心地に「Bioバル(ビオバル)」をオープン。今や地元住民だけでなく県外の人々をつなぐコミュニティとなっている。都会で生まれ育った彼女に南国宮崎県の魅力を語ってもらった。
――地方への移住を考えたきっかけを教えてください。
私は東京生まれで東京育ち。毎日大勢の人や物に囲まれて暮らしているようでも、夏休みや正月になると、みんな帰省してしまい人が一気にいなくなるんです。自分は大都会の中で生活しながら、なんとなく「田舎暮らし」に憧れを抱くようになりました。
実際に「移住しよう!」と思ったのは、東京で会社員をしていたとき、Webの仕事で自然食品のプロデュースをしたのがきっかけです。当時は、子育ての真っ最中。「自分の子どもは土がある環境でのびのび育てたい」と思うようになり、まずは2008年に家族で関東近郊の海の見える地に移住しました。
――その後、宮崎県に移住されましたが、この地を選んだ決め手は何でしたか?
実は最初から宮崎県に移住すると決めていたわけじゃないんです。2011年3月に東日本大震災がありましたね。私が当時住んでいた地域周辺も少なからず被害を受けました。すると、一緒に畑を耕し、食育活動をしていた仲間たちが次々と引っ越して、いつの間にか周囲に誰もいなくなっていたんです。正直ショックでしたね。
それで私も新たな出会いと生活の場を求めて辿り着いたのが宮崎県の南に位置する市木(いちき)地区。市木にある石波海岸から望む「幸島の風景」が視界に入った瞬間「ここ素敵!」って感動したの。「この辺に住むところはありませんか?」と近くにいる人に片っ端から声をかけ、市木地区で家を借りることにしました。
宮崎県南部の串間市にある石波海岸から約100m離れたところに位置する周囲約3.5~4kmの小島。野生の猿が生息する「幸島サル生息地」として国の天然記念物に指定されている。また、周辺の海岸沿いはサーフィンスポットとしても有名で、全国から青い海と波を求めてサーファーが集まってくる。
――市木ではどんな暮らしをしていましたか?
市木では米や野菜を作り、ほとんど自給自足に近い生活でした。魚は近くの漁師さんたちが分けてくれる。広い空と海以外は何もないところだけど、この生活も環境も心から気に入っていました。
市木で2年半生活したおかげでリセットできたし、本当にやりたいことをやろうと思った。それが「宮崎県の県庁所在地で飲食業をやる」ことだったんです。
からだによいものをより多くの人に食べてもらいたい。その想いから、有機野菜をはじめ地元宮崎県の食材にこだわった料理を提供するお店を開きたいと思いました。
Bioバルは、綾町産の有機野菜を始め宮崎県産の食材を使った料理と有機農法で生産されたナチュラルワインを提供している。「からだにいいものが食べたいと思ったときはBioバルに来る」と常連のMasakoさん。人気メニューのひとつである日向夏のフリット(12月~5月限定)は、みやざきブランド推進本部 日向夏の楽しみ方2015年度グランプリ受賞レシピ。綾町産のトマトで作った味噌漬けもぜひ試したい。
そして、もうひとつ。Bioバルは「発酵」メニューにも力を注いでいる。宮崎県産のフルーツや野菜を発酵させた酵素シロップをワインや炭酸で割った「酵素カクテル」が優しい甘味で女性に人気だ。
宮崎県はフルーツや新鮮な野菜が豊富。いつもいろんな種類を用意できるのがいい。